長崎の防火用水と蚊の関係

先日長崎の町を歩いていると、上の写真にある防火用水を目にしました。この写真を見て、何のためにある物なのか分からないという人も多いのではないでしょうか。今回は、この防火用水と蚊の意外な関係についてお話ししたいと思います。

写真の防火用水は、第二次世界大戦中に戦火に備えて設置されたものです。当時の長崎は木造建築が多く、不幸にも焼夷弾を用いた空襲の標的となっていたため、防空法で各家に防火用水の設置が義務づけられていました。

この防火用水は、戦時中の長崎に更なる悲劇をもたらします。防火用水に貯められた水が蚊にとって格好の繁殖場所となり、デング熱の媒介蚊であるヒトスジシマカの大発生を引き起こしてしまうのです。当時の長崎には商船や軍用船の寄港地があり、デング熱の蔓延地域である南方の戦地、占領地からの帰還者が多かったことも重なって、1942年から1945年にかけ、長崎ではデング熱の大流行が生じました。1942年には、長崎市で23,338人のデング熱患者が記録されています。また、長崎市と同じく商船や軍用船の大きな寄港地があった兵庫、大阪、佐世保でも同様にデング熱の大流行が起き、患者数20万人に上る、温帯地域における世界最大のアウトブレイクを引き起こしました。

その後終戦に伴って防火用水の使用は減り、幸いなことに1946年以降、デング熱の感染事例は長崎県内で確認されていません。

かつて戦争のために設置され、さらにはデング熱の大流行をも引き起こした防火用水は、現在はその役目を失い、戦争の終結と長崎の平和を体現しています。

文責:的場 直輝

参考文献

  • 堀田進.デング熱媒介蚊に関する一考察:1942-1944年の日本内地のデング熱流行におけるヒトスジシマカAedes albopictus およびネッタイシマカAedes aegypti の意義について,衞生動物,494: 267-2741998
  • 国立感染症研究所:デング熱国内感染事例発生時の対応・対策の手引き 地方公共団体向け(第1版)平成26年9月(2024年8月現在URL: https://www.niid.go.jp/niid/images/vir1/div2/dengue_taio_jichitai.pdf)
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